松岡正剛の書棚

「Book Shelf」 松丸本舗の位相より

Book Shelf

 

「松丸本舗」の位相

 

薈田純一

 

「『松岡正剛の書棚』という本を作りたいのですが、書棚は2万冊を超える本が並ぶ松丸本舗です」という依頼が来たとき、普通の撮影とはならないだろうなと思った。

 

書棚のある「松丸本舗」は、迷路のような空間構成、光源、色彩、考え抜かれた書棚のかたち、選ばれた本、書棚への本の入れ方、並べ方……。下見の時から、全てが他のどの書店にも似ていない型破りの空間に抗いがたい魅力を感じた。

 

当初はその雰囲気をいかにして伝えるかに頭をなやませていたが、背表紙が読める写真にしようかと思ったときに“雰囲気”だけでは全然おもしろくないぞと気がついたのだった。だから撮影は2日ほどで終わると最初考えていたが、棚の本一冊ずつに愚直に向き合おうと決めたとき、深夜の撮影が3カ月つづくことになったのだ。

 

書棚の一つひとつに向かい合うとは、いわば松丸本舗の全容を「解体」していく作業だ。そうして写真によって解体された部分をあらためて構築してみると、そこにもう一つの「松丸本舗」が現れてきた。それは、解体図でもあり全体図でもある。設計図でもあり完成図でもある。そして実物の“Duplicate”でありながら「松丸本舗」の別の相貌を確実に捉えたと思う。

 

 作品は松丸本舗の核心部分を成す本殿1から7まで全ての書棚を展開し、被写体の臨場感を細部から全体まで一望できるという、写真のネイチャーを最大限に発揮した大判のものとした。また一冊も余さず撮影し得たことで、いわば本殿の「ビジュアル総目録」ともいえるかもしれない。

 

 

 

薈田 純一 写真展

 

「Book Shelf」・「松丸本舗」の位相 

解説より加筆訂正

 

 

会期=2011年3月7日[月]-3月12日[土]

会場=表参道画廊

主催=(株)ビーコンヒル

協賛=(株)中央公論新社

後援=(株)松岡正剛事務所・丸善株式会社


「食器棚改め」

 

薈田純一

 

我が家の食器戸棚がお役御免になった。ただ捨てたくはない。いろいろ考えた末に本を入れることにしたが、お世辞にも綺麗な収納ではない。縦組み、横組み、二重三重だ。松丸本舗を撮り始めのころ、サンプルにこの戸棚を撮ってデザイナーのところへ行った。笑いながら「こんなにすごい本の入り方をして!」とあきれられたが、彼はこれを書棚と見てくれた。本が並べば棚は本棚になる。逆に本棚は、本が並ばないと本棚にはならないということだ。冷蔵庫に本を入れてる友人がいるけど、それはどうなんだろう。

 カンディダ・ヘイファーの「Libraries」の前文でウンベルト・エーコが言う。『図書館は読む事を奨励する場所というよりは、「隠す」、本を隠してしまう場所のように思われる。当然そこは、逆に本を探し出せるところとなった。15世紀以前の失われた写本や文献はどこで見つかるか。図書館である』と。こんな大それた話ではないにしろ、本棚にはいろんなものが紛れ込んでいる。取り出した本から落ちる花びら。やばい手紙に写真。栞に使ったレシートやヘソクリだ。でも大事なのは、本と共にある記憶だろう。その本を手に取れば忘れていた記憶がたちどころによみがえる。そんな記憶を「偶景」とロラン・バルトは呼んだけど、僕はそういう記憶あるものが好きだから、自然に書棚に引き寄せられる。

 本と本棚は不可分だ。では写真家は何を撮るか。本だろうか本棚だろうか。

僕は「Artifact」たる棚の全体がまず目に入る。それを一棚ずつ解体して背表紙を読む。何冊かの本が印象にのこる。そうしてまた元通りに本棚をくみあげてゆくと、「たたずまい」が見えてくる。僕はそれを撮っている。トドノツマリ、「たたずまい」が見えるとは、本と本棚を同時に見られるということだ。普通の人は本しか見ない。棚は目に入らないのだ。「たたずまい」の先に、本棚の主のいろんな癖とか性格とか事情とかが見えたら、写真は上手くいっている。

 最近、標本のように本が集められた棚にでくわした。僕にとって本棚は、『本に「淫する」人の棚こそ書棚』だったから、ホルマリンの匂いがたちこめるような景色の凄みは、虫酢が走ると同時に感動的だ。乞うご期待なのだ。

ということで、取り憑かれたように今も書棚浸けだ。相変わらず我が家の「食器棚改め」は健在だけど、ガラス戸のためか、修道院の「アルマリウム(書棚の一種)」に見えなくもない、なんて思い始めたから僕はかなり重症だと思う。

 

「連塾ブックパーティスパイラル 巻③ 本を聴きたい」 より転載