「集い」の時間


COVID19禍中「密を味わい・楽しむ」ことや「集い・憩う」ことは大変な贅沢となってしまいました。

「集い」の時間は2013年に撮影(初出 中央公論2013年11月号 グラビア)されCOVID19の影すら感じなかったころのものです。嗜好品という括りのなかから始まったルポでしたが、その時「集う」というキーワードが生まれました。この小さなルポが、「集まり・会話すること」の豊かさ、大事さ、そしてその意味を再考するきっかけになれば嬉しく思います。

 

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忙しさに追われる日々。ふと息をつきたくなると「集う」ことで人は元気を取り戻す。わたしたち日本人もよく会合をもつが、むしろ“アウェイ”の外国人の方が、積極的に集い合っているかもしれない。 

 水タバコのカフェはエジプト人たちで混み合っている。ネパールの人たちは日本にあっても祭事を欠かさない。

パブで“パイント”(ビール一杯の基本の量。約568ml)をイギリス人が囲めば、エチオピアの女性たちはコーヒーセレモニーをする。

 アブ・バクルさんは、故郷アスワンと変わらない雰囲気を求めて、東京・下北沢のシーシャ(水タバコ)カフェに週に二、三回は通う。シーシャをポコポコくゆらせながら、同じ国の仲間と語り合うと、日頃の疲れも吹き飛ぶ。ただ「時々は、外で吸いたくなります。夕暮に海風に吹かれて吸うシーシャはリラクシング。ここではその習慣がないから」と故郷の伸びやかな時間を思いだす。もちろん他人に迷惑をかけて嗜むことは許されないが、そんな鷹揚な「集い」を人は求めているのかもしれない。

福岡・大名のイングリッシュパブ「スリーキングス」のオーナー、ルイス・マトスさんは、「楽しみ(Pleasure)というよりは、慰めや居心地の良さ(Comfort)を求めて皆パブに集まってきます。慣れ親しんだ母国の食べ物や、会話が弾む伝統の嗜好品も大事ですね」と語る。

 

 こうした外国人の集いに、今は多くの日本人も招かれる。それぞれの文化や慣習を互いに認めあう大らかな場で、自分の好みの嗜好品をかたわらにエトランジェとすごす時間。「集い」の場が、多彩なものが共存・融合する豊かな社会を形作ってゆくのだろう。